今回は、準備中のプロジェクトの
artの碩からのメッセージを
お届けします♪
世界と調和しながら
自分をより美しく
服やオシャレをたしなむ
ことの意味を再発見
いたしました。
風景や世界と調和しながら
服をたしなむということ。
こんにちは、 art コンセプター碩です。
今回は、「着る」と「装う」
について考えてみたいなと思います。
皆さんは、この違いお解りになりますでしょうか?
私は、感覚的なイメージの違いでしかなかったので、
気になって調べてみました。
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装うとは。世界という大きな
キャンバスの中に自分を置き、
風景との調和や作用を
意識する行為
Dress(装う)は、着ている人間の意志が自分以外、
つまりエネルギーが自分を含めた世界に
向かっていることを言います。
世界という大きなキャンバスの中に自分を置き、
風景との調和や作用を意識する行為です。
自然あるいは街の風景の中で自分自身の佇まいを
どのようなものにするか、これを意識して描くことです。
Wear(着る)は、主に意識の方向性が自分自身に
向かっていて、自分自身に目的があることです。
着る、という単純な行為です。
目的は、暑い・寒いという機能重視、
突き詰めるとおのれにとっての快・不快を目的とします。
クール・ビズがその典型例です。
今の世の中はこちらが大多数を占めます。
感覚的に言うなら現在では100人中98人、
もはやほぼ10割といったところでしょう。
世界全体の一部として自分をとらえ、
全体の一部として自分を見立て、
その上でどのようなものを着るかを考えることが
装うということですが、
それはつまり自身を含めた風景あるいは
景色を作ること、とも言えます。
装った人間が、高級レストランやホテルで優遇される、
という理由がそこに存在します。
これは絶滅危惧種ゆえの特権ともいえますが、
この2%枠の美味しさに気づくか気づかないかで
人生の愉しさが分かれます。
着る、は即物的で単純な行為ですが、装うは、
世界を意識したもので、自らの意志が風景とともに
あるという意識が“着る“との大きな違いです。
歴史的・文化的にヨーロッパの狩猟文化で、
自然色のツイードで“装う”のも、迷彩という機能由来とはいえ、
風景を意識しているから、と言えます。
edwardism.blogspot より引用
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なるほど、、、、。
つまりは、「着る」とは自分の為だけの行為で、
「装う」は、見る人や自分が溶け込む風景への
配慮をされた服装という事なんですね。
私の大好きな漫画、「パラダイスキス」に
「美しい装いは人に
勇気や自信を与えるわ。
あたしはそう信じて、
服を作り続けてきた。
あなたにも魔法が
かかったかしら。」
という言葉があります。
まさに私が追い求め続けてきたのは、
「装う」にふさわしい服作りであり、「装う」事によって、生まれる。
空気感、オーラをはなつファッションなのだなと思います。
皆さんも、是非「装う」ファッション楽しんでみて下さい。
art コンセプター 碩 文香 (せき ふみか)